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和歌山地方裁判所 昭和53年(ワ)159号 判決 1982年5月19日

原告

野井喜一

右訴訟代理人

望月一虎

大橋武弘

平栗勲

被告

医療法人恒生会

右代表者理事

菱川和夫

被告

穴原克宏

右被告ら訴訟代理人

岩橋健

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が、昭和五二年三月二一日菱川病院において、右肩関節脱臼の整復を受けた者であること、被告恒生会は、同被告肩書地において右菱川病院を開設し、被告穴原、谷畑技師らを使用して、同病院を経営する法人であることは、当事者間に争いがない。

二原告の症状及び診療の経過

1  原告が昭和五二年三月二一日午前九時三〇分頃自宅居間でエキスパンダーを使用して運動していたが、エキスパンダーの一端を右足で踏んで他端を右手で持ち、これを右手で引き上げたところ、エキスパンダーの収縮力で後方へ引つ張られるようにして右腕がねじれ、その際右肩関節を脱臼したこと、原告に過去二回の脱臼経験があること、その後、原告が、自宅から菱川病院まで救急車で搬送されたこと、谷畑技師が、原告に対し、レントゲン撮影をすると言つたところ、原告が、「そんなものはいらん」と答えたこと、被告穴原が、脱臼整復後鋏で原告の着衣を切り開いたこと、被告穴原が、原告に酸素吸入、点摘、輸血を行つたこと、被告穴原が、医大病院の濱﨑医師に連絡したこと、その後濱﨑医師が、菱川病院に来院して原告を診察したこと、濱﨑医師が、カルテ及びレントゲンフィルムを預つて医大病院に戻つたこと、原告が、同日午後一時五五分医大病院に搬入されたことは、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実と、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  原告は、昭和五二年三月二一日午前九時三〇分頃自宅八畳間において、息子とともにエキスパンダー(ばね三本掛け)で運動していた際、エキスパンダーの一端を右足で踏み他端を右手で握り、これを右手で押し上げるようにして伸張し、右肘が肩関節九〇度以上になり、右手首が右側頭部上に達するまで引き上げたところ、エキスパンダーの収縮力により右腕が斜め後側に外転を強制されたため、右肩関節を脱臼した。原告は、過去昭和四二年頃と昭和四六、七年頃の二回にわたりいずれも右肩関節を脱臼した経験があり、右二度目の脱臼時には畠中整骨院分院において整復を受けていた。そこで、原告は、妻艶子に、まず同医院分院次いで同院本院に電話連絡させたが、当日が祭日のためいずれも整復師が不在であつたので、同日午前九時五二分頃和歌山市消防局の消防指令室に電話で救急車の出動を依頼させた。

(二)  消防指令室から連絡を受けた所轄の南消防署宮前出張所から、東一夫副士長以下三名の救急隊員の乗務する救急車が、同日午前九時五三分出動し、同日午前九時五六分原告宅に到着した。自宅で待機していた原告は、東副士長ら救急隊員に患部の痛みを訴えるとともに、エキスパンダーを使用中に右肩を脱臼した旨説明した。そこで、東副士長らが、原告に搬送を希望する病院を尋ねたところ、原告らは、右(一)のとおり整骨院に連絡をとつたものの整復師が不在であり、他に希望する病院はない旨答えたので、消防指令室の指示のもとに、原告と付添の妻艶子を乗車させて、原告を菱川病院に搬送することとした。原告は、妻艶子とともに自ら救急車に乗り込み、右腕を左手で抱え俯くようにして後部担架に腰掛け、救急隊員が脱臼の応救措置として三角巾による手当をしようとするのを拒んだ。

(三)  一方、被告穴原は、同日朝菱川病院での前日の当直を終え、当日の当直医である医大病院所属の小川医師が来院したので帰宅しようとしたところ、菱川病院の玄関先において、同病院の受付事務員に呼び止められ、エキスパンダーを使用中に肩関節を脱臼した急患が入り、まもなく救急車で搬送されてくる旨を告げられた。整形外科を専門とする被告穴原は、当日の当直医の小川医師が内科専門であるところから、右急患の診療を自己が担当するため同病院に居残ることとした。ところが、当時いまだ朝食をとつていなかつたので、救急車が到着するまでの時間を利用して朝食をとることとし、小川医師、谷畑技師とともに、駐車場を隔てて菱川病院の北隣りにある喫茶店「ファースト」に行き、朝食としてモーニングサービスを注文した。

(四)  原告を搬送する救急車は、同日午前一〇時頃菱川病院に到着した。これを玄関先に迎えた同病院の矢野えみ子看護婦(以下、矢野看護婦という。)は、右腕を左手で抱えるようにして降りてきた原告を救急隊員とともに両脇から抱えて、同病院一階の外科室に搬入し、診察台に座わらせたが、この間、原告は、「痛い、痛い」と痛みを訴えていた。続いて、救急車が到着する直前に喫茶店「ファースト」から帰院していた谷畑技師が、レントゲン室に入れておくようにとの被告穴原の指示により、レントゲン室に行こうと原告を促したところ、原告は、「レントゲンはいらん、直ぐ入れてくれたらよい、骨接ぎなら直ぐ入れてくれる」と大声で言つて、谷畑技師の手を払いのけ、レントゲン撮影を拒否した。そこで、谷畑技師は、喫茶店「ファースト」に被告穴原を呼びに行つた。

(五)  患者がレントゲン撮影を拒否している旨を谷畑技師から伝え聞いた被告穴原は、コーヒーを飲んだだけで朝食をとらずに残したまま、菱川病院に帰院した。被告穴原は、右腕を左手でお腹に抱え込むようにして診察台の上でうずくまつていた原告を診察したところ、原告は、顔色が悪く冷汗があつて痛みを訴えており、ショック状態と判断された。被告穴原は、付添の妻艶子から原告がエキスパンダーを使用中に脱臼したことを確認し、更に過去二回の脱臼経験があることを聞いたが、原告に対し、レントゲンを撮りに行くよう再度指示したところ、原告は、「レントゲンいらん、骨接ぎなら直ぐ入れる」と言つて、右腕を抱え込んだままの姿勢で動こうとしなかつた。このため、被告穴原は、やむをえずレントゲン撮影を断念し、まず着衣を着たままの状態で原告を診察台の上にあおむけに寝かせたのち、原告の腹部の着衣の下から手を差し入れて患部を触診したところ、右肩の関節窩が空虚で烏口下脱臼と診断されたが、その際更に原告の右前胸部に腫脹を触知した。被告穴原は、右腫脹の存在から、血管損傷ないし筋断裂の発生を疑診したが、橈骨動脈の膊動が緊張良好であつたので、血管損傷が存在するとしても、主幹動脈に損傷はないものと判断し、原告が訴える痛みの軽減を図るため、脱臼に対する整復をまず実施し、次いで前記腫脹に対する診療を行うこととした。また、原告の右手は動いていたため、外傷時の神経損傷はないものと判断した。

(六)  被告穴原は、整復術としてヒポクラテス法を採用し、その術式どおり、自己の右足を原告の腋窩に入れ、自己の両手で原告の右手を握つたうえ、原告の右腕をその体側に沿つて長軸方向に牽引し、右肩関節の脱臼を整復した。続いて、被告穴原は、原告の着衣を鋏で切り開いて上半身を露出させ、右前胸部の腫脹の経過を観察したところ、右腫脹は次第に右側胸部に及ぶ傾向を呈していた。右整復直後の同日午前一〇時一〇分に測定された原告の血圧は、触診で五〇であつた(前掲乙第一号証の一のカルテには、「一〇時一〇分、血圧五〇、触診」との記載部分があるところ、同日午後一時五〇分頃原告が医大病院に転院するに先立つて、濱﨑医師が菱川病院において複写し前掲甲第八号証の医大病院のカルテに編綴した、右乙第一号証の一のカルテのコピーである右甲第八号証四枚目には、右記載部分と同一の記載部分が写つているから、右記載部分は右複写時までに記載されたものと認められる。そして、この間に、被告穴原が、後日の紛争の発生を予想して、故意に虚偽の右記載部分を挿入しておいたものとは認められないから、右記載部分の信用性を肯定することができる。)。

(七)  被告穴原は、原告の血圧が低く、前記各症状から出血性のショック状態にあると判断し、これに対処するため、自ら原告の足に血管露出術を施して特注針を入れ、低分子デキストラン等の点滴静注を開始するとともに、血液を採取して原告の血液型を判定し、血液センターに輸血用血液を手配した。このほか、酸素吸入を開始し、以後ソセゴン、セルシン等の鎮痛剤のほか止血剤、強心剤等を投与し、胸部を氷罨した。

(八)  被告穴原は、原告の出血症状について、原告の右腕に神経症状が発現せず、自然止血に至れば菱川病院において入院加療を施すことで足りるものと判断し、血液センターから届いた血液八〇〇CCを輸血して、原告の症状の経過を観察した。

(九)  その後、原告の血圧は、午前一〇時四〇分七八/四〇、午前一一時四〇分九〇/七〇、午前一一時五〇分九二/七四、午後〇時七〇/五四、午後〇時一〇分七〇/五六、午後〇時二〇分八二/六〇と推移したが、同日昼頃になり、原告が右腕に痺れを訴え、指の動きが鈍くなつてきたので、被告穴原は、血腫圧迫による神経症状が発現したものと判断し、直ちに医大病院に電話連絡して、当直医の濱﨑医師に対し、原告の症状を説明して手術の実施を依頼した。これに対し、濱﨑医師は、一度原告を診察しに行く旨回答した。

(一〇)  同日午後一時半頃、菱川病院を訪れた濱﨑医師は、原告のカルテを見て被告穴原から説明を受けたのち、当時谷畑技師がポータブル撮影機を使用して整復後に撮影していたレントゲン写真を見たところ、原告の患部に骨折の所見を認めなかつた。続いて、濱﨑医師は、原告を診察したところ、右腋窩部から胸部にかけて腫脹が著しく、右腕に運動麻痺を認めたので、血腫圧迫により運動障害が発現したものと判断した。そこで、濱﨑医師は、被告穴原に医大病院において手術を実施することを了承し、その準備のため医大病院に帰つた。

(一一)  被告穴原は、引続き原告の一般状態の推移を観察したが、午後一時触診で五六と一時血圧が降下したものの、午後一時二〇分九四/七〇、午後一時三〇分一一〇/九〇と安定してきたので、午後一時三六分電話連絡により救急車の出動を要請した。その後、午後一時四五分血圧が一一六/九〇であり、原告の一般状態が転送に耐えられるものと判断して、午後一時五〇分菱川病院に到着した救急車により原告を医大病院に転院させた。

(一二)  午後一時五五分救急車により医大病院に到着した原告を濱﨑医師が診察したところ、右前胸部から右腋窩部にかけて血腫により生じた顕著な腫脹を認め、右腕に伸展不能の運動障害を認めたが、橈骨動脈の膊動は触診可能であつた。以上の症状から、濱﨑医師は、外傷性腋窩動脈破裂及び右上腕神経麻痺と術前診断を下し、破裂動脈の血管縫合術と右上腕神経の減圧術の施行を要すると判断した。

(一三)  そこで、午後三時四五分頃、医大病院手術室において、武用医師の執刀、濱﨑医師、坂中医師らの介助のもとに、手術が開始された。まず、右腋窩動脈の走行に沿つて右胸部筋肉の側部まで開皮し、次いで鎖骨方向に開皮したところ、胸筋の下に多量の血腫が貯留しており動脈破裂の発生が想定された。更に、胸筋を切開して反転すると急速な出血を認めたので、出血部位を検索すると、腋窩動脈と腋窩動脈から分れて前胸部に走行する血管との分岐部(本件損傷部位)に一部破裂箇所が確認された。そこで、右部位に血管縫合術を実施し、周囲の血腫を除去して、午後五時五分頃手術を終了した。

(一四)  しかしながら、原告は、右手術終了後も右腕の感覚と指運動の回復はみられず、即日同病院に入院して、主治医である濱﨑医師の治療を受けたが、指は多少動くものの手の内骨が萎縮した状態のまま、同年七月二一日同病院を退院した。原告は、引続き同月二五日から、琴の浦リハビリテーションセンター附属病院に通院して、理学療法を受けたが、その後、同年九月八日同病院において右腋窩神経麻痺、右肩拘縮(尺骨神経完全麻痺)との診断を受け、結局昭和五三年九月二五日右手指機能全廃の後遺症固定と診断されるに至つた。

以上の事実が認められ<る。>

三被告らの責任

1  被告恒生会の債務不履行責任について

前記二2(四)、(五)に認定のとおり、原告が昭和五二年三月二一日救急車により菱川病院に来院し、脱臼症状に対する医師の診療を求め、これに対し、同病院の被告穴原が診療を開始したことにより、原告と被告恒生会との間に、原告の症状に対し適切な診療を行うことを内容とする診療契約が成立したものと認められる。したがつて、被告恒生会は、原告に対し、右診療契約に基づき、善良な管理者の注意をもつて原告を診療すべき債務を負担したものと解すべきところ、原告は、被告恒生会の履行補助者である被告穴原の原告に対する診療の過程において、請求原因三1(一)(2)(ア)ないし(ウ)主張の善管注意義務懈怠の事実が存在する旨主張するので、以下順次判断する。

(一)  請求原因三1(一)(2)(ア)の善管注意義務懈怠の主張について

まず、原告の血管損傷時期について判断する。

(1) 鑑定人中野謙吾の鑑定の結果及び証人中野謙吾の証言によると、一般に外傷時には患部に予想外の外力が働くことがあり、したがつて、エキスパンダーを使用中に、脱臼と同時に血管損傷を起こす可能性は力学的にありうること、これに対し、ヒポクラテス法による徒手整復術は、患者の血管が健全なものである限り動脈血管は弾力性を有するから、治療目的に適合した方法で右整復術を行う場合には、動脈血管に属する本件損傷部位に血管損傷を起こす可能性はないことが認められる。この点につき、確かに、成立に争いのない甲第二〇号証(デバルマ、「図説骨折・脱臼の管理」Ⅰ)、五八〇頁には、原告の主張のとおり、「血管損傷はまれであるが、整復前、または整復中に起こりうる。」との記載部分があり、また、成立に争いのない甲第一九号証(「整形外科学および外傷学」)、四六〇頁には、「新鮮脱臼は整復操作時、神経、血管の損傷を発生せしめる危険もある。」との記載部分がある。しかしながら、右各記載部分は、いずれも血管損傷を起す危険性が動脈、静脈の如何を問わず同等にあるとの趣旨か否か不明であり、特に、整復により血管損傷が生ずることがあるとしても、その場合本件損傷部位に損傷が生ずることがありうるか否かについてなんら論及していないのであるから(これに対し、血管損傷部位が本件損傷部位に生じていることに基づいて検討した場合、エキスパンダーによる右血管損傷の発症機序をより合理的に説明できることは、後記(2)に説示のとおりである。)、本件において血管損傷時期を直接確定する資料とはならない。他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 右血管損傷の発症機序の詳細について、被告らは、請求原因に対する答弁三2(一)のとおり、エキスパンダーの収縮力で右腕が後方へ一回転したような状態となり、その際に、右上腕骨骨頭が腋窩動脈を下からすくい上げたため、本件損傷部位に損傷を生じた旨主張し、被告穴原克宏も右主張にそう供述をするところであるが、<証拠>及び鑑定人中野謙吾の鑑定の結果をあわせ考えると、前記二2(一)に認定のとおり、エキスパンダーの収縮力により原告の右腕が斜め後側に外転を強制されたため右肩関節を脱臼したとの受傷機転を前提とする限り、被告らの右説明は合理的なものとして首肯することができる。

以上の事情に照らし前記二2に認定の原告の症状の経過を総合考慮すると、原告の血管損傷は、エキスパンダーの操作時に、右肩関節の脱臼に併発して発症したものと認定することができる。

これに対し、前掲甲第八号証の一(医大病院のカルテ)、第九号証(医大病院の看護記録)には、原告主張のとおり、整復後に腫脹が発生した旨の記載部分がある。しかしながら、証人濱﨑廣洋の証言によれば、右甲第八号証の一の記載部分は、被告穴原のみならず、原告とその付添の家族の説明に基づいて記載されたものと認められ、また、右甲第九号証の記載部分も、原告とその付添の家族の説明ないし右甲第八号証の一の記載に基づいて記載されたものと認められる。したがつて、右各記載部分は必ずしも原告の症状の経過を正確に記載したものとは認められないから、前記認定の妨げとはならず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

してみると、原告の血管損傷が被告穴原の原告に対する整復術により生じたことを前提とする原告の前記主張は、その余の点について判断するまでもなく採用することができない。

(二)  請求原因三1(一)(2)(イ)の善管注意義務懈怠の主張について

鑑定人中野謙吾の鑑定の結果及び証人中野謙吾の証言によれば、上肢の橈骨動脈の膊動がない場合は、幹動脈に損傷があると判断され、したがつて、末梢に血流が及ばないため末梢組織が壊死する危険性があり、また、出血のため生命に危険が生ずるから、直ちに患者に応急措置を施したうえ、血管縫合術の手術可能な病院に転送する、橈骨動脈の膊動がある場合は、幹動脈に損傷はないと判断され、したがつて末梢に対する血流が保持され、右各危険性はないから、患者の脱臼による痛みを除去するためまず整復を行い、次いで出血症状が内部組織内で凝固することにより自然止血するに至るか否か経過観察する、この場合、患者の一般状態がショック状態にない限り、出血症状はさ程問題とならないことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

そこで、右認定事実に基づき本件をみると、前記二2(五)に認定のとおり、整復前に触診により原告の前胸部に腫脹を触知した時点で、被告穴原は、右上肢の橈骨動脈の膊動が緊張良好であることを確認しているのであるから、被告穴原が、原告の症状に対する治療順序として、まず原告が訴える痛みの軽減を図るため、極めて短時間のうちに終了することができ、しかもこれにより原告の一般状態をより悪化させるとも認められない(被告穴原の原告に対する整復術により、原告の血管損傷を増大させたことを確定できないことは、後記のとおりである。)ヒポクラテス法による整復術を先に実施し、次いで右腫脹に対する診療及び原告のショック症状に対する治療を行つたことをもつて不適切な医療措置ということはできない。

更に、被告穴原の整復により原告の本件損傷部位の損傷程度をより増大させたとの原告の主張についてみると、証人中野謙吾の証言によつても、鑑定人中野謙吾の鑑定結果中の整復により血管損傷が増強された旨の鑑定意見は、推測上その可能性を否定できないという程度のものであるにすぎず、したがつて、本件全証拠によるも右主張事実を確定できるものではない。また、仮に整復により血管損傷が増大したとしても、証人中野謙吾の証言によると、これは徒手整復術の術式如何に拘らずその実施自体に不可避に伴うものであることが認められるから、被告穴原が原告の症状に対する治療順序として徒手整復術を先行したことをもつて不適切な措置といえないことは前示のとおりである以上、血管損傷増大の結果を招来したことについても責任がないことが明らかである。

以上、いずれの理由によつても、原告の前記主張は採用することができない。

(三)  請求原因三1(一)(2)(ウ)の善管注意義務懈怠の主張について

まず、転送時期の適否について判断すると、前記二2に認定の原告の症状の経過と鑑定人中野謙吾の鑑定の結果、証人中野謙吾の証言及び被告穴原克宏本人尋問の結果によると、被告穴原は、整復後原告に対し、輸液、輸血、各種薬剤の投与等の措置を講じたにも拘らず、原告の血圧は、整復以後午後一時二〇分まで最高血圧が一〇〇以下の状態が継続し一般状態が悪化していたこと、したがつて、この間、直ちに原告を転送してもその一般状態が開胸手術に適応であるか否か疑問であるばかりでなく、転送自体によつて一般状態がより悪化する危険があつたこと、原告に出血症状があつたとしても、患肢に神経症状が発現せず、出血症状が自然止血するに至る限り、直ちに原告を転送する必要はないと認められるところ、原告に実際に神経症状が発現するまで、右症状が発現するか否かを事前に予測することは困難であること、被告穴原は、原告の患肢に神経症状が発現したのち、直ちに医大病院の濱﨑医師に連絡をとり、手術を依頼したこと、当日は祭日であつたため、医大病院の濱﨑医師が、菱川病院において原告を診察したうえ、手術に必要な要員を確保するまで、原告を医大病院に転送しても手術不可能であつたこと(医大病院において原告に対する手術が開始されたのは、転送後約二時間経過した午後三時四五分頃である。)、被告穴原は、原告の最高血圧が午後一時三〇分以後一一〇台に安定し、原告の一般状態が転送に耐えうると判断された時点で原告を転送したことが認められ、以上の事情を総合すれば、被告穴原の原告に対する医療措置において、原告の転送時期を誤つた点はないと認めるのが相当である。

次に、圧迫包帯を実施しなかつたことの適否について判断すると、鑑定人中野謙吾の鑑定の結果及び証人中野謙吾の証言によると、幹動脈に血管損傷があることが判明した場合ないし上肢の橈骨動脈の膊動があつても出血による症状が非常に重篤である場合には、患者に圧迫包帯を実施することが有効な止血措置であること、しかしながら、幹動脈に対し圧迫包帯を実施すると末梢組織に血流が行かなくなるので、右措置は実施後直ちに患者を転送して血管縫合術を施行できる場合に限ること、そして、本件のように皮下出血の場合においては内部組織自体による圧迫があるため、圧迫包帯による圧迫の程度はより緩かでもよいことが認められる。そうすると、本件において本件損傷部位に原告主張の圧迫包帯を実施すれば、これにより腋窩動脈の血流自体をも阻害する危険性があるというべきところ、実際に医大病院に転送されるまでに原告の転送に適切な時期がなかつたことは前示のとおりであること、そして、転送までの間に被告穴原より前記二2(七)、(八)に認定の止血剤の投与、胸部氷罨等の代替措置が講じられていることよりすれば、被告穴原が原告に対し圧迫包帯を実施しなかつたことをもつて不適切な医療措置ということはできない。

したがつて、原告の前記主張は採用することができない。

よつて、原告の被告恒生会に対する民法第四一五条に基づく損害賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

2  被告恒生会の使用者責任について

被告恒生会の被用者であることは当事者間に争いのない被告穴原の原告に対する診療行為について、原告主張の過失が認められないことは、右1説示の理由により明らかであるから、原告の被告恒生会に対する民法第七一五条第一項に基づく損害賠償請求も、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

3  被告穴原の不法行為責任について

被告穴原の原告に対する診療行為について、原告主張の過失が認められないことは、前記1説示の理由により明らかであるから、原告の被告穴原に対する民法第七〇九条に基づく損害賠償請求も、その余の点について判断するまでもなく理由がない。<以下、省略>

(鐘尾彰文 高橋水枝 岩田眞)

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